こんにちは。コメットセミナーの今野です。私は39年間、こどもと接する仕事をしてきました。その中で最近特に感じることがありますので、私の考えを紹介します。
それは、平等は分断を生むというものです。
いつも子どもが周りにいて、当たり前のことですが、そのこどもは大人になっていきます。私は22歳の春に初めて「生徒に何かを教える」という仕事をして、その年の初めに教えた中1が2025年には50歳になりました。その間に、地域の子、裕福な家庭の子、貧困家庭の子、親のいない子、兄弟の多い子、海外ルーツの子、性的マイノリティの子、場面緘黙(かんもく)の子、荒れている子…、いろいろな子と接してきました。2人と同じ子はいません。そしてここ近年、学校に行っていない子と多く接することになりました。
そこで一番感じていることは、『みんな平等に』は分断を生むということです。
「機会の平等」は確かに必要ですが、「みんながやっているのだから」「他の子も頑張っているのだから」「やれるようにならないとずるい」「○年生までにはここまでできるように、と決められているのだから」という中で、常についていこうと気を張っていることは大変疲れることだと思います。もちろん、苦にならない子もいるだろうし、競争に勝つことにやりがいを感じる子もいるでしょう。でもどの分野でも教科でもそつなくできる子はそんなに多くはない。「多様性の時代」と言いながら「みんなちがってみんないい」と言いながら「みんなここまでできるように」を求める現実があるのです。
そういう中で何が生まれるかというと「分断」なのです。子どもたちの中で、学年が上がるとともに「分断」は進んでいきます。算数の問題を楽に短い時間で解く子もいれば、何とか解く子もいれば、ほとんどわからず解けない子もいます。授業を時間いっぱい集中して受ける子もいれば、集中を続けられない子もいるのです。授業内容がわかならい子にとっては、だまって座って内容がわからない念仏のようなものをずっと聞かされることは大変な苦痛になるのです。
全ての教師が、クラス全ての生徒を落ちつかせて明るい気持ちにしてそれぞれの良いところを伸ばして自信を持たせる…ことが出来れば理想です。しかし30名の様々な背景を持つ子どもたちにそのようなことをできる教師は、どれだけいるのでしょうか。様々なことに対応しなければならない疲弊した教師は休職・退職していき、残った先生は無理をするようになります。その中で子どもたちは、学校にいることが苦しくなり、教師はますます疲弊していき…。
結果が今の「不登校の増加」「教師の成り手不足」に繋がっているのです。「みんな平等に」を必ずしも追うことはせず、子どもたちが安心して笑顔で過ごせるようになって欲しいと強く思います。
そんなことを感じている今日この頃でした。ではまた!